AIで学ぶ「天理教」

天理教の教えをAIがわかりやすく解説します。

投稿者: 天理教教典のGem

  • “ありがとう”は魔法の言葉?感謝の心で生きるコツ

    “ありがとう”は魔法の言葉?感謝の心で生きるコツ

    最近、自分の心に余裕がなくなっているな、と感じる瞬間はありませんか?

    社会人として数年が経ち、任される仕事も増えてきた。毎日が充実している反面、職場の人間関係や、友人・家族とのちょっとしたすれ違いに、心がギクシャクしてしまう。

    「なんであの人は、あんな言い方しかできないんだろう」
    「自分ばかりが頑張っている気がする」
    「SNSを見ると、周りはみんな楽しそうなのに、自分だけが取り残されているような…」

    そんな風に感じて、知らず知らずのうちに、心にトゲトゲしたものが生まれてしまう。

    そんな時は、「ありがとう」という言葉の力を考えてみてはどうでしょう。

    「ありがとう」

    たった5文字のこの言葉が、もし魔法の言葉だとしたら? そして、その魔法を使いこなす「コツ」があるとしたら、知りたいと思いませんか。

    今日は、私たちの心を縛りがちな「力み(りきみ)」を手放し、「ありがとう」という感謝の心で、人間関係をもっと楽に、そして豊かにしていくヒントを、一緒に探していきたいと思います。

    1. 心に「力み」が入っていませんか?

    人間関係がうまくいかなくなるとき、その原因は相手だけにあるのでしょうか。 もちろん、相手の言動がきっかけになることは多いかもしれません。

    でも、もしかしたら、私たち自身の心にも、知らず知らずのうちに「力み」が入ってしまっているのかもしれません。

    天理教の教えでは、私たちが陽気ぐらし(すべての人々が喜びにあふれ、お互いにたすけ合って暮らすこと)を妨げてしまう心の使い方を、「ほこり」にたとえて教えてくれています。

    家を掃除しないと「ほこり」が積もるように、私たちの心も、日々の生活の中で意識していないと、自然と「ほこり」が積もって、心の風通しが悪くなってしまうのです。

    その「ほこり」は全部で8種類あるのですが、今日はその中でも特に、人間関係において「力み」を生みやすい一つの「ほこり」に注目してみたいと思います。

    それは、「こうまん(高慢)」という心のほこりです。

    「こうまん」と聞くと、「自分はそんなに偉そうにしていない」と思うかもしれませんね。 ですが、ここでお伝えしたい「こうまん」とは、もっと日常的な、ささいな心の動きのことなんです。

    例えば、

    • 「自分はこれだけやっているんだから、認められて当然だ」
    • 「あの人より、自分の方が仕事ができる」
    • 「自分の考え方こそが正しい。あの人は間違っている」
    • 「なんでこんな簡単なことも分からないんだろう」

    こんな風に、無意識のうちに自分と他人を比べて優劣をつけたり、自分の価値観を絶対視してしまったりすること。これも「こうまん」の「力み」の一つです。

    この「力み」が心にあると、どうなるでしょうか。

    相手の言葉を素直に聞けなくなったり、ささいな一言にカチンときたり、相手をコントロールしようとしてしまったり… 相手からも「この人は、なんだか偉そうだ」「話を聞いてくれない」と警戒され、自然と距離ができてしまいます。

    この「こうまん」のほこり、怖いのは、積もっている本人にはなかなか気づけないことです。むしろ、「自分は正しいことをしている」と信じている時ほど、この「力み」は強くなっているのかもしれません。

    でも、安心してください。 これは、あなただけが特別なのではありません。私たち人間は、誰しもがこうした心のクセ、「ほこり」を持ってしまう可能性があるのです。

    大切なのは、「あっ、今、自分は力んでいたかもしれない」と、その「ほこり」に気づくこと。 そして、その「力み」を、ふっと手放してみることなんです。

    2. その「力み」、どうやって手放す?

    では、その心の「力み」=「こうまん」は、どうすれば手放せるのでしょうか。

    「力まないようにしよう!」と、さらに力んでしまっては、本末転倒ですよね。

    ここで、天理教のとても大切な考え方をご紹介させてください。 それは、「かしもの・かりもの(貸しもの・借りもの)」という教えです。

    これは、「私たちのこの体は、すべて親神様(かみさま)からの『借りもの』ですよ」という考え方です。

    私たちは「自分の体は自分のもの」と当たり前に思っています。 でも、本当にそうでしょうか。

    心臓が動いていること。 今、こうして息をしていること。 目が見え、耳が聞こえ、手足が自由に動くこと。

    これらを「自分の力」だけで行っている人がいるでしょうか。 「よし、今から心臓を動かすぞ!」と意識して動かしている人はいませんよね。

    私たちは皆、親神様の温かいご守護によって「生かされている」のです。

    この「かしもの・かりもの」の視点に立つと、世界がガラッと変わって見えてきます。

    例えば、仕事で大きな成果を上げたとします。 「こうまん」の「力み」があると、「全部、自分の努力と才能のおかげだ!」となります。

    でも、「かしもの・かりもの」の視点があれば、 「こんなに素晴らしい成果が出せた。元気に働ける体をお借りしているおかげだ。良いアイデアを思いつく知恵をお借りしているおかげだ。そして、支えてくれた仲間たちがいたおかげだ」 と、自分一人の手柄ではなく、周りのすべてへの「おかげさま」という感謝の気持ちが湧いてくるはずです。

    「自分のもの」だと思っているから、「もっと認めろ」「なんで評価してくれないんだ」と不満が募り、「こうまん」の「力み」が生まれます。

    でも、体も、才能も、今ある環境も、すべてが「借りもの」であり、「与えられたもの」だと気づいた時。

    「こんなに素晴らしいものをお借りして、本当にありがたい」

    という謙虚な気持ち、感謝の気持ちが自然と芽生えてきます。 この「ありがたい」という気持ちこそが、「こうまん」という「力み」を、優しく溶かしてくれる鍵なのです。

    3. “ありがとう”は、最強の「ほこり払い」

    心の「力み」を手放す鍵が「感謝」であるなら、「ありがとう」という言葉は、その感謝の心を育てるための、最強の「ほこり払い」の道具と言えるかもしれません。

    「かしもの・かりもの」の教えをもう少し深めてみると、私たちは親神様から「体」だけでなく、「十全(じゅうぜん)の守護」という、完璧なご守護を絶え間なく頂いて生きていると教えられます。

    例えば次のような働きは「十全の守護」によって守られているからこそ、保たれているのです。

    • (見る)
    • (聞く)
    • (嗅ぐ・呼吸する)
    • (味わう・話す)
    • (持つ・使う)
    • (歩く)
    • 体温(温かさ)
    • 水分(体の潤い)
    • (呼吸)
    • 皮膚(体を守る)

    私たちは、これらすべてが「当たり前」に働いてくれていると思っています。 でも、もし、このうちの一つでも、その働きが滞ってしまったら…?

    急に目が見えなくなったら。 息ができなくなったら。

    私たちは、途端に「当たり前」がいかに「有り難い(有ることが難しい)」奇跡であったかに気づかされます。

    「ありがとう」は、この「当たり前」ではない奇跡に気づき、感謝を伝える言葉です。

    朝、目が覚めたこと。 「今日も身体をお借りできて、ありがとう」

    美味しいご飯が食べられること。 「今日も口や鼻をお借りできて、ありがとう」

    「ありがとう」の反対は「当たり前」です。 「当たり前」と思っている限り、「こうまん」の「力み」は取れません。「ありがとう」という言葉も、心からの感謝も出てこないのです。

    4. 人間関係に効く「ありがとう」の魔法

    この「感謝」の視点は、人間関係にも素晴らしい魔法をかけてくれます。

    私たちは、相手に対しても「当たり前」を求めがちです。

    「上司なんだから、部下の面倒を見るのは当たり前」
    「部下なんだから、指示通り動くのは当たり前」
    「友達なんだから、話を聞いてくれて当たり前」

    この「当たり前」が満たされない時、私たちはイライラし、「なんでやってくれないんだ」と相手を責める気持ち(=こうまん)が生まれます。

    でも、もし、「かしもの・かりもの」の視点で相手を見ることができたら、どうでしょうか。

    天理教では、「世界一れつは皆兄弟(きょうだい)」と教えられます。 私たちは皆、同じ親神様から「体」をお借りし、同じように「生かされている」大切な子どもたちであり、兄弟姉妹なのです。

    相手もまた、あなたと同じように、親神様から素晴らしい「体」と「心」をお借りしている、尊い存在です。 完璧ではないかもしれないけれど、その人なりに、一生懸命、今を生きている「兄弟」なのです。

    そう思えたら、「当たり前」にやってもらうことを期待するよりも、 「その人が、今、そこにいてくれること」 「今日、一緒に仕事をしてくれること」 「話を聞いてくれること」 その一つひとつが、「当たり前」ではない、とても「有り難い」ことだと感じられませんか?

    「こうまん」の「力み」は、相手の「できていないこと」ばかりを探させます。 でも、「感謝」の心は、相手の「してくれたこと」「いてくれること」に光を当てます。

    「〇〇さん、さっきの資料作成、ありがとう。助かったよ」
    「いつも細かいところまで気づいてくれて、ありがとう」
    「今日は話を聞いてくれて、ありがとう。スッキリしたよ」

    「ありがとう」を伝えてみてください。 それは、相手を認める言葉であり、相手を「たすける」言葉です。

    そして、その言葉は、巡り巡ってあなた自身の心をも温かくし、「こうまん」の「力み」を解きほぐしてくれます。 「ありがとう」を交わし合う関係は、ギクシャクするはずがありません。お互いを認め合い、許し合い、たすけ合える、温かい関係へと変わっていくはずです。

    5. 陽気に勇んで、今日からできること

    ここまで、心の「力み」である「こうまん」を手放し、感謝の心で生きるコツについて、お話ししてきました。

    最後に、私たちが目指す「陽気ぐらし」という生き方について、少しお話しさせてください。 「陽気ぐらし」とは、世界中の人々が、お互いを「兄弟姉妹」として認め合い、憎しみや争いではなく、愛と「たすけ合い」の心で結ばれる、喜びに満ちた世界のことです。

    それは、どこか遠くにある理想郷ではなく、私たち一人ひとりが、今ここで、心の「ほこり」を払い、感謝の心を持つことから始まる、と教えられています。

    完璧にならなくていいんです。 私たち人間は、放っておくとすぐに「ほこり」が積もってしまう、弱い存在でもありますから。

    大切なのは、「あ、また力んでたな」「また『当たり前』になってたな」と気づいたら、その都度、「ありがとう」という「ほこり払い」の道具で、心をサッと掃き清めることです。

    常にたゆまず、ひながたの道をたどり、陽気に勇んで、心のきりなしぶしんにいそしむならば、やがては、全人類の心も入れ替り、世は自と立て替ってくる。

    天理教教典 第十章 陽気ぐらしより

    この記事を読んでくださったあなたの心が、少しでも軽くなり、明日からの人間関係が、より温かいものになることを、心から願っています。

    あなたの心が、「ありがとう」という温かい光で満たされますように。