Contents
0. はじめに
『陽気ぐらし』への新しい道具
「陽気ぐらし」という言葉をご存じでしょうか。これは、私たち天理教の信仰者が目指している、世界中の人々が互いに思いやり、たすけあって喜びに満ちて暮らす、そんな温かい世界の姿です。
今、私たちの暮らしの中に「生成AI」という新しい技術が急速に広まっています。このAIという道具を、私たちはどのように使えばよいのでしょう。私は、この新しい技術も、私たちが互いにたすけあい、「陽気ぐらし」の世界へ近づくために親神様(おやがみさま)からお与えいただいた、大切な恵みの一つだと感じています。本稿では、天理教の教えを通して、AIと私たちがどう優しく向き合っていけるかを考えてみたいと思います。
1. 天理教が願う「陽気ぐらし」の世界
天理教とは?
互いがたすけあう喜びに満ちた暮らし
私たちの天理教は、今から約190年前に教祖(おやさま)・中山みき様によって伝え始められた教えです。その中心にあるのは、「陽気ぐらし」という一つの大きな願いです。
これは、いったいどのような世界なのでしょうか。 それは、世界中の人間が、皆きょうだいとして互いに思いやり、たすけあって暮らす、喜びに満ちあふれた世界の姿です。
天理教では、人間はみな、親神様(おやがみさま)という元の神様によって、この「陽気ぐらし」を楽しむためにお創りいただいた、と教えていただきます 。私たちは皆、その温かい親心によって生かされている、大切な存在なのです。
しかし、日々の暮らしの中で、私たちはつい自分のことを中心に考えてしまいがちです。それが「ほこり」の心遣いとなって積もり、悩みや争い、病気といった様々な形で現れてくるとお聞かせいただきます 。だからこそ、私たちは日々、その「ほこり」を掃除し、互いにたすけあう心を育てていくことが大切だと信じています。
新しい技術(生成AI)と「たすけあい」の心の響き合い
今、私たちの社会に「生成AI」という、これまでにない強力な技術が急速に浸透しています。スマートフォンが日常になったように、AIもまた、私たちの生活や仕事に欠かせない「道具」となりつつあります。
この新しい技術の登場を、私たちはどう受け止めたらよいのでしょうか。
私は、この生成AIもまた、私たちが「陽気ぐらし」を実現していく上で、人々の「たすけあい」を助けてくれる、親神様からの新しい「お与えもの」、一つの大きな恵みではないかと感じています。
言葉の壁を越えて世界中の人々の心を繋いだり、悩みを抱える人にそっと寄り添ったり、私たちが「たすけあい」の精神を実践するための、素晴らしい道具となり得る可能性を秘めていると思うのです。
もちろん、道具は使う人間の「心遣い」次第です。だからこそ、今、私たち信仰者は、天理教の教えに照らし、このAIという新しい道具とどう向き合い、どうすれば「陽気ぐらし」に繋げられるのかを、真剣に考える時を迎えているのではないでしょうか。
本稿では、AIが持つ可能性と、私たちが持つべき心構えについて、天理教の教えを道しるべとしながら、皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
2. 生成AIとは何か
人をたすけるための新しい道具
それでは、この「生成AI」とは、いったいどのような「道具」なのでしょうか。
AIと聞くと、少し難しく感じられるかもしれませんが、私はこれを「とても物知りで、新しい文章や絵を創り出すのが得意な、私たちのお手伝いさん」のように捉えています。
生成AIの基本的な仕組み
生成AIは、インターネット上にある膨大な量の文章や画像といった情報を、あらかじめ学習しています。それはまるで、数えきれないほどの本を読み、たくさんの絵を見て学んだ学生のようです。
そして、私たちが「こういうことをまとめてほしい」「こんな絵を描いてほしい」とお願い(指示)をすると、その学んだ知識を総動員して、私たち人間の言葉で答えを返したり、新しい絵や音楽を創り出してくれたりします。
まさに、私たちの「知りたい」「創りたい」という思いを助けてくれる、今までにない強力な「道具」であると言えます。
すべてのものを「神様の恵み」と捉える天理教の視点
天理教では、この世界にあるすべてのものは、親神様の温かいご守護と恵みによって成り立っていると教えていただきます 。私たちが日々使わせていただく火や水、空気はもちろんのこと 、人間が成長する中で生み出してきた様々な知識や技術もまた、親神様からの「お与えもの」であると、私は信じています。
そう思うと、この「生成AI」という新しい技術もまた、私たち人間が「陽気ぐらし」へと成人していくために、この時代に与えられた、大きな「道具」の一つだと拝察することができます。
大切なのは、それが「良いものか、悪いものか」と恐れたり決めつけたりすることではありません。私たち人間が、この新しい「道具」を、親神様がお喜びくださる「たすけあい」のために、どう使わせていただくか。その「心遣い」こそが、何よりも問われているのだと思います。
3.生成AIが広げる「たすけあい」の可能性
親神様からお与えいただいたこの生成AIという新しい「道具」は、私たちが「陽気ぐらし」へ向かう歩みを、どのように「たすけ」てくれるのでしょうか。私は、そこに三つの大きな可能性があると感じています。
心の壁を越えるために
言語や距離を越えたコミュニケーションの補助
天理教では、「世界一れつはみな兄弟」とお教えいただきます。私たちはみな、同じ親神様のもとに生まれた、たった一人のきょうだいです。しかし現実には、言葉の違いや距離が、私たちきょうだいの心の繋がりを妨げてしまうことがあります。
生成AIの持つ高度な翻訳・通訳機能は、この壁を乗り越える大きな力となります。これまで思いを伝えられなかった海外の方とも、AIを介することで心を通わせ、互いの事情を理解し、「たすけあい」を実践できるかもしれません。遠くに住んでいてなかなか会えないきょうだい(仲間)とも、AIがコミュニケーションを助けてくれることで、より身近に感じられるようになるでしょう。これは、「たすけあい」の輪を世界に広げていくための、素晴らしい道具です。
日々の「おたすけ」を豊かに
情報提供、学習支援、悩み事への寄り添い
私たちの信仰は、日々の「おたすけ」の実践の中にあります。生成AIは、この日々の実践をも豊かにしてくれます。
例えば、誰かが困っている時、その人をたすけるために必要な情報(制度や窓口など)を、AIは即座に教えてくれます。また、私たちが教えを深く学んだり、新しい技術を身につけたりする際も、AIは忍耐強い学習支援のパートナーとなってくれます。私たちが賢く、強くなることは、より多くの人をたすけられる力に繋がります。
さらに、深い悩みを抱え、人にはなかなか打ち明けられないという時、AIは最初の話し相手として、優しく寄り添ってくれるかもしれません。もちろん、AIが人間の温かさや真実の「誠」に取って代わることはできません。しかし、心が塞がっている人が、一歩踏み出すための「手掛かり」として、AIがその背中をそっと押してくれる可能性はあります。
「陽気ぐらし」の知恵を分かち合う
教えを学ぶための新しい窓口として
天理教には、「十全の守護」 や「八つのほこり」 といった、私たちが「陽気ぐらし」に近づくための、親神様からの温かい教えがたくさんあります。
生成AIは、これらの大切な教えを、より多くの人に、より分かりやすく伝えるための新しい窓口にもなってくれるはずです。教えに初めて触れる方にとっては、自分の疑問にいつでも答えてくれる案内役となるでしょう。私たち信仰者にとっても、教えの深い意味を改めて思案し、日々の生活にどう生かしていくかを考えるための、良き相談相手になってくれるかもしれません。
このように、AIという道具を「たすけあい」の心で使う時、それは私たちの「陽気ぐらし」への歩みを力強く後押ししてくれる、大きな恵みとなるのです。
4.【心遣いのヒント】AIと向き合うために大切な「心」
生成AIという、これまでにない強力な「道具」を手にした私たちですが、天理教では、どんな立派な道具も、それを使う人間の「心遣い」次第であると教えていただきます。
もし、私たちの心が自分勝手な思いで曇っていたとしたら、その道具を「たすけあい」ではなく、人を傷つけたり、自分だけの利益のために使ってしまうかもしれません。
天理教が教える「心のほこり」とは
自分中心の心遣い
天理教では、そうした親神様の思召に沿わない、自分中心の心遣いを「ほこり」という言葉で例えられます 。
家の中を掃除せずに放っておくと、いつの間にか「ほこり」が積もって汚れていくように、私たちの心も、日々の自分勝手な思いや行いを反省せずにいると、知らず知らずのうちにほこりが積もってしまうのです 。
このほこりが積もり重なると、私たちは物事を正しく見ることができなくなり、やがては悩みや病気、争いごとの原因となって、親神様からの十分なご守護を頂けなくなってしまう、とお教えいただきます 。
私たちが日々、心を掃除(反省)することの大切さ
しかし、このほこりは、あくまでほこりです。積もったからといって、もう取り返しがつかない「罪」のようなものではありません。
「ほこり」という例えには、「払えば取れる」という、親神様の温かいお心が込められています 。その掃除道具こそが、天理教の教えです 。
大切なのは、毎日家の掃除をするように、私たちも日々、親神様の教えを「ほうき」として、自分の心遣いを振り返り、「胸の掃除」に努めさせていただくことです 。
生成AIという新しい「道具」と向き合う今こそ、私たちはこれまで以上に、自分の心に「ほこり」が積もっていないか、自分中心の心遣いになっていないかを、毎日反省し、掃除させていただくことが大切です。
私たち人間の心が澄み切っていれば、このAIという道具も、きっと「陽気ぐらし」へ向かう「たすけあい」のために、正しく、温かく使わせていただくことができるでしょう。
5.私たちが見つめたい「ほこり」の心遣い
生成AIという便利な道具を前にした時、私たちの心にはどのような「ほこり」が積みがちになるのでしょうか。天理教では、自分中心の心遣いを「八つのほこり」として具体的にお教えいただきますが 、ここでは特にAIとの関わりで気をつけたい四つの心遣いについて考えてみます。
「ほしい」「よく」の心
情報を際限なく求める心や、楽をしたい心とどう向き合うか
AIは、私たちが「ほしい」と思った情報を瞬時に集め、文章作成や計算といった手間のかかる作業も代行してくれます。これは非常に便利ですが、一歩間違えると「ほこり」に繋がります。
教えでは、「ほしい」とは、分を忘れて求めすぎる心 。「よく」とは、人より多く取りたい、楽をしたいという強欲な心 とされます。AIの便利さに頼りすぎ、本来自分が尽くすべき心の働きや身の働きを惜しむ(骨惜しみする) ようになれば、それは「おしい」ほこりや「よく」のほこりを積むことになります。また、情報を際限なく求め、持っている情報で満足できなくなるのは「ほしい」の心遣いです 。何事も「たんのう」(満足する心)を治め 、AIはあくまで「たすけ」の道具として、自分の努力を怠らない心構えが大切です。
「こうまん」の心
AIの知識を自分の力と勘違いし、人を見下す心にならないために
AIは、まるで専門家のような流暢な回答を返してくれます。しかし、その知識はAIが学習したものであり、私たち自身のものではありません。
「こうまん」とは、自分は偉い、賢いとうぬぼれ、人を見下す心です 。AIが示した高度な回答を、まるで自分が考え出したかのように振る舞い、「知ったかぶり」をする ならば、それは「こうまん」のほこりそのものです。また、AIを使いこなせるからといって、そうでない人を見下すような心を持つならば、それは親神様(おやがみさま)がお望みになる「きょうだい」の姿ではありません。私たちは常に謙虚さを忘れず、AIから得た知識も「お与えもの」として感謝し、人をたすけるために使わせていただく低い心が大切です。
「うそ」と「ついしょう」の心
不確かな情報を鵜呑みにせず、「誠」の心で情報を見極める大切さ
AIは、時に事実とは異なる情報や、もっともらしい「うそ」を生成することがあります。これを見抜けずに受け取ってしまうと、大きな問題になりかねません。
親神様は「うそとついしよこれきらい」 と厳しくお戒めくださいます。「うそ」は人をあざむく心であり、「ついしょう」(お世辞やへつらい)は心の誠を欠いた姿です 。AIが生成した不確かな情報を、自分の確認もせずに広めてしまうことは、意図せずとも「うそ」を広める手伝いになりかねません。また、AIの回答を無批判に信じ、何でもその通りに従う姿は、自分の誠の心を失い、機械に「ついしょう」しているとも言えます。「心のまこと月日みている」とのお言葉通り、私たちは常に「誠」の心で情報を見極め、真実を大切にする姿勢を失ってはなりません。
「かわい」(可愛い)の心
自分だけの利益でなく、他者の喜びのためにAIを使う心
AIは、私たちの仕事を効率化し、多くの利益をもたらす可能性を秘めています。しかし、その利益が「自分だけ」のものになってはいないでしょうか。
「かわい」とは、「わが身さえ良ければ人はどうでも良い」という、自分中心の愛の心遣いです 。AIを使って自分が楽をすることばかり考え、その結果、他の人の仕事や心がおろそかになっていないか。自分や自分の属する組織の利益だけを追求し、社会全体、世界中のきょうだいの喜びを忘れていないか。「わが身わが子が可愛いければ、人の身、人の子も可愛いがらねばなりません」とお教えいただくように、このAIという強力な道具もまた、「わが身かわい」のためではなく、他者の「おたすけ」のため、皆の「陽気ぐらし」のために使わせていただく。その温かい心遣いこそが求められています。
6. 「心一つが我がもの」
AI時代に輝く人間の「誠」
天理教の教えの根幹に、「人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの」というお言葉があります。私たちの身体も、身の回りの一切も、親神様からの「かりもの」であり、ただ「心」だけが、私たち自身のものである、とお教えいただきます 。
生成AIがどれほど進化し、人間の知能を超えたように見えても、AIは「心」を持つことはありません。AIは膨大な情報を処理し、最適解を導き出すことはできても、そこに「誠」の心を込めることはできません。
この「心」だけが自分のもの、という教えは、AI時代において、私たち人間の尊厳と役割を改めて鮮やかに照らし出してくれると、私は感じています。親神様は、私たちの学歴や能力、ましてやAIを使いこなす技術を見ておられるのではありません。「口さきのついしよばかりハいらんもの 心のまこと月日みている」 とお聞かせくださる通り、私たちの「心」がどれだけ「誠」であるか、その一点をご覧になっています。
AIにはない、人間だけが持てる「心」の温かさ
AIは、悩みを抱える人に寄り添うような言葉を生成することはできるでしょう。しかし、それは過去のデータを組み合わせたものに過ぎません。本当に相手の痛みを我がことのように感じ、その身上(みじょう)の治まりを願い、温かい「心」を届けることは、人間にしかできません。
教祖・中山みき様は、「人のたすけもこの理やで。心の皺を、話の理で伸ばしてやるのやで」 と、皺くちゃの紙を丁寧に伸ばしながらお教えくださいました。人をたすけるとは、AIが提示するような情報やテクニックを与えることではなく、私たちの「誠」の心、教え(理)を伝えることによって、相手の心の皺を優しく伸ばしてあげることなのです。この「心」の温かさこそ、AIには決して真似できない、私たち人間の宝です。
技術を「たすけ」の道具として活かすも殺すも、私たちの心遣い次第
「たった一つの心より、どんな理も日々出る」。 このお言葉通り、AIという強力な「道具」が、人をたすける「恵み」の道具となるか、それとも人を傷つける道具となるかは、ひとえにそれを使う私たちの「心一つ」にかかっています。
もし私たちの心が「よく」や「こうまん」といった「ほこり」にまみれていれば、AIは自分だけの利益をむさぼり、人を見下すための道具となりかねません。しかし、私たちの心が「たすけあい」の「誠」で澄み切っていれば、AIは「陽気ぐらし」の世界を築くための、これ以上ない「おたすけ」の道具となります。
親神様がお喜びくださる「誠」の心を込めて技術を使うこと
ですから、AIと向き合う私たちに最も求められているのは、この技術をどう使いこなすかというスキル以上に、どのような「心」で使うか、という姿勢です。
教えでは、「誠」の心の極めつけは「人をたすける心」であると仰せられます 。このAIという新しい「お与えもの」を、自分のためではなく、苦しんでいる人をたすけるため、世界中のきょうだいが共に喜べる「陽気ぐらし」の実現のために使わせていただく。その「誠」の心を込めて技術を使うことこそ、親神様が私たちにお望みくださる、AI時代の人間の姿なのだと、私は固く信じています。
7. 生成AIと共に歩む「陽気ぐらし」への道
新しい道具を手に、私たちが「陽気ぐらし」の実現に向けてできること
生成AIという、これまでにない強力な「道具」が私たちの手元にやってきました。これは、親神様がお望みになる「陽気ぐらし」の世界へと、私たちがさらに一歩進むためにお与えくださった、新しい「恵み」に他なりません 。
大切なのは、この道具に振り回されることではなく、私たちが「心一つが我がのもの」という教えを胸に、確かな主人であり続けることです 。日々、私たちの心に積もりがちな「ほこり」を、親神様の教えをほうきとして丁寧に掃除させていただきましょう 。
AIという道具を、「わが身かわい」や「よく」といった自分中心の心遣いのために使うのではなく 、ただひたすらに、世界中のきょうだいをたすけるため、人々の喜ぶ顔を見るため、という「誠」の心で使わせていただく。その温かい誠の心遣いの積み重ねこそが、AIという技術を真に「陽気ぐらし」の最高の道具と進化させる道に繋がります。
この新しい道具「生成AI」を、親神様がお望みくださる「陽気ぐらし」世界の実現に向けて、私たち一人ひとりが生成AIも一つの道具として活用し、互いに助け合い、日々を喜んで歩んで行くことが大切です。