AIで学ぶ「天理教」

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  • 身体は神様からの”かりもの”。自分をもっと大切に「かしもの・かりもの」の教え

    身体は神様からの”かりもの”。自分をもっと大切に「かしもの・かりもの」の教え

    毎日を懸命に生きるあなたへ

    20代、30代、40代。 社会人として、あるいは家庭人として、責任も増え、期待されることも多くなる年代ですね。朝早くから夜遅くまで、自分のことよりも周りのことを優先して、走り続けている方も多いのではないでしょうか。

    「今日も疲れたな…」 「なんだか心が休まらない」 「もっと頑張らなくちゃいけないのに、身体がついてこない」

    そんな風に感じて、知らず知らずのうちに、ご自身の心と身体に鞭を打っていませんか?

    私たちはつい、「自分の身体」は「自分のもの」だと思いがちです。だから、無理がきくと思って酷使してしまったり、思い通りにならないと「どうしてこんなに弱いんだ」と自分を責めてしまったりすることもあるかもしれません。

    でも、もし。 その大切なあなたの身体が、「あなたのもの」ではなく、「神様からの大切なかりもの」だとしたら、どうでしょう。

    今日は、天理教の教えである「かしもの・かりもの」という考え方を通して、今、健康でいられることへの感謝を深め、ご自身をもっと深く慈しむ時間の大切さについて、お伝えしたいと思います。

    心がふっと軽くなる、温かい光が差し込むようなひと時になれば幸いです。


    身体は「かりもの」、心だけが「自分のもの」

    天理教では、私たちの身体は親神様(おやがみさま)からの「かしもの(貸しもの)」であり、私たち人間はそれを「かりもの(借りもの)」としてお借りしている、と教えていただきます。

    「人間身の内は、神のかしもの・かりもの、心一つが我が理。」

    天理教教典 第七章 かしもの・かりもの より

    これは、どういうことでしょうか。

    あなたの素晴らしい身体。二つの目、二つの耳、鼻、口、手足、そして心臓や肺といった内臓のすべて。それら一つひとつは、あなたが作り出したものではなく、親神様が「これで陽気ぐらし(ようきぐらし)をしなさい」と、私たち人間一人ひとりにお貸しくださったものなのです。

    「え、じゃあ自分って何?」と思われるかもしれませんね。

    教えでは、身体は「かりもの」であり、「心だけ」が自分自身のものだとされています。

    私たちは、親神様からお借りした「身体」という器(うつわ)に、「心」という自分自身のものを入れて、この世で生活させていただいているのです。

    「かりもの」だから、大切に。

    この「かしもの・かりもの」の教えは、私たちに二つの大切な視点をくれます。

    一つは、「かりもの」だからこそ、最大限大切に扱わせていただくという心です。

    例えば、あなたが誰かから、とても高価で、世界に一つしかないような素晴らしい車を「どうぞ使ってください」と貸してもらったと想像してみてください。

    あなたはその車をどう扱いますか? きっと、傷つけないように丁寧に運転し、汚れたらすぐに洗い、定期的にメンテナンスをして、大切に大切に乗るのではないでしょうか。乱暴に扱ったり、わざとぶつけたりすることは、決してしないはずです。

    私たちの身体も、それと同じです。 いや、世界中のどんな高価なものよりも尊く、替えのきかない、親神様からの「かしもの」なのです。

    日々の忙しさの中で、食事を抜いたり、睡眠時間を削ったり、疲れているのに無理を重ねたりすることは、親神様からお借りした大切な「かりもの」を、少し粗末に扱ってしまっている状態かもしれません。

    「自分のもの」だと思うと、「これくらい大丈夫」と無理ができてしまいます。 でも、「大切なかりもの」だと思えば、「ああ、こんな時間だ。そろそろ休ませていただかないと」「疲れが溜まっているな。今日は少し早く寝て、身体を労わろう」と、自然と自分を慈しむ心が湧いてくるのではないでしょうか。

    ご自身の身体を、愛おしい「かりもの」として、優しく労ってあげてくださいね。


    もう一つの視点:「手引き」としての不調

    「かしもの・かりもの」の教えがくれるもう一つの大切な視点。 それは、病気や怪我、身体の不調に対する温かい捉え方です。

    もし身体が「自分のもの」であるならば、病気や不調は「なぜ自分がこんな目に」「運が悪い」「自分の管理が悪かった」と、ネガティブなもの、忌むべきものとして映るかもしれません。

    しかし、身体は親神様からの「かりもの」です。

    天理教では、身体に現れる不調や悩み事は、罰や試練ではなく、親神様からの「手引き(てびき)」であると教えていただきます。

    それは、「あなたの心の使い方が、少しだけ神様の思召(おぼしめし)と違っていませんか?」「少し立ち止まって、心を見つめ直してみませんか?」「頑張りすぎですよ。少し休みなさい」という、親神様からの優しいメッセージ、道しるべなのです。

    決してあなたを苦しめるためではなく、あなたが本来の「陽気ぐらし」の道に戻れるように、親神様が深い親心で知らせてくださっているサインです。

    もし今、何かしらの不調を抱えている方がいらっしゃいましたら、ご自身を責めないでください。 「神様が、何かを気づかせようとしてくださっているんだな」「少し休む時間を与えてくださったんだな」と、その奥にある温かい親心を感じてみてください。

    その不調は、あなたの心をリセットし、新しい一歩を踏み出すための大切なきっかけとなってくれるはずです。


    「当たり前」に満ちている、神様の御守護

    「かしもの・かりもの」の教えを胸にすると、今、私たちがこうして生かされていることが、いかに奇跡的で、ありがたいことであるかに気づかされます。

    私たちは、この身体を親神様からお借りしているだけでなく、この身体を動かす全ての働きも、親神様が日々刻々と守ってくださっているのです。

    これを天理教では「十全の守護(じゅうぜんのごしゅご)」と呼びます。 親神様は、この世界の隅々に、そして私たちの身体の隅々に、十通りの完全な御守護をもって、私たちを生かし育ててくださっています。

    少しだけ、ご紹介します。

    1. くにとこたちのみこと (人間身の内の眼うるおい、世界では水の守護の理) あなたが今、この文章を読めていること。美しい景色を見て感動できること。それは「眼」がうるおい、見る働きをあたえていただいているからです。
    2. をもたりのみこと (人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理) あなたが人の手の温もりを感じられること。寒い日に「温かい」と感じられること。それは身体に「ぬくみ(体温)」をあたえていただいているからです。
    3. くにさづちのみこと (人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理) 私たちが肌で触れ合い、つながりを感じられること。皮膚一枚でこの身体が守られていること。
    4. 月よみのみこと (人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理) 今、あなたがその姿勢で座っていられること。しっかりと立ち上がれること。それは身体の「骨つっぱり」の働きをいただいているからです。
    5. くもよみのみこと (人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理) 「美味しい」と感じて食事をいただき、それが栄養となり、不要なものを排出できること。この「飲み食い出入り」の働き。
    6. かしこねのみこと (人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理) 今、この瞬間も、あなたが意識しなくても「息」をしていること。空気を吸い、吐き出せること。
    7. たいしょく天のみこと (出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理) 私たちがこの世に生まれ出る時の「縁を切る」働き。そして、様々な物事を区切り、決断する力。
    8. をふとのべのみこと (出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理) 私たちがこの世に「引き出される」働き。そして、内に秘めた力を引き出す働き。
    9. いざなぎのみこと(男雛型・種の理)
    10. いざなみのみこと(女雛型・苗代の理) 父と母という雛型(ひながた)があり、私たちが命を繋いでいく理。

    …いかがでしょうか。 眼が見えることも、呼吸ができることも、食事ができることも、一つとして「当たり前」のものはありません。

    すべてが親神様の絶え間ない御守護によって成り立っているのです。 そう思うと、この「かりもの」である身体が、ますます愛おしく、ありがたいものに感じられませんか?


    「自分のもの」である心を、どう使うか

    さて、身体は「かりもの」であり、親神様の完全な御守護によって生かされています。 では、「自分のもの」である私たちの「心」は、どう使えばよいのでしょうか。

    親神様は、私たちがこの「かりもの」である身体を使って、「陽気ぐらし」――お互いがたすけ合い、喜び合う、明るく楽しい世界を生きることを願ってお貸しくださいました。

    しかし、私たちの「心」は自由なため、時にその「陽気ぐらし」とは逆の方向を向いてしまうことがあります。 その心の曇りを、天理教では「ほこり」と呼びます。

    お部屋も、毎日掃除をしていないと、いつの間にか「ほこり」が積もってしまいますね。それと同じように、私たちの心にも、日々の生活の中で知らず知らずのうちに「ほこり」が積もってしまうのです。

    教えでは、その「ほこり」を八つに分けて示されています。

    • をしい(惜しい): 施しを惜しむ、税金を納めるのを惜しむ。何事も惜しむ心。
    • ほしい(欲しい): 身分不相応に、人のものを欲しがる。もっともっとと求める心。
    • にくい(憎い): あの人が悪い、と人を憎む心。
    • かわい(可愛い): 自分のことばかり、我が子ばかりを可愛がり、人を顧みない心。(自己中心的な心)
    • うらみ(怨み): 自分のことは棚に上げて、人を怨む心。
    • はらだち(腹立ち): 些細なことにもカッと腹を立てる心。
    • よく(欲): 人を蹴落としてでも自分が儲けたい、というような、深い欲の心。
    • こうまん(高慢): 力もないのに威張る、人を見下す心。知ったかぶりをする心。

    20代、30代、40代の社会生活の中では、こうした「ほこり」が積もりやすい場面がたくさんあるかもしれません。

    • 「あいつばかり評価されて…」(ほしい、うらみ、にくい)
    • 「なんで自分だけこんな仕事を…」(はらだち)
    • 「自分の方がうまくやれるのに」(こうまん)
    • 「疲れていて、人のことまで構っていられない」(かわい)

    こうした「ほこり」が心に積もると、親神様が願われる「陽気ぐらし」の姿から遠ざかり、それが積もり積もって、「かりもの」である身体に「手引き」として現れることもある、と教えられます。

    「ほこり」は掃けばいい

    でも、どうか安心してください。 「ほこり」が積もってしまうことは、決して「悪いこと」ではありません。人間であれば、誰の心にも自然と積もるものなのです。親神様は、そんな私たちの心の性質もすべてご存知です。

    大切なのは、「ああ、今、心にほこりが積もっていたな」と気づくこと。 そして、その「ほこり」を日々掃き清めることです。

    お部屋を掃除するように、心の「ほこり」も掃けばいいのです。

    では、どうやって掃き清めるのでしょうか。 それは、ここまでお話ししてきた「かしもの・かりもの」の教えに立ち返り、「感謝」と「たんのう(満足)」の心を持つことです。

    • 「人を憎い」と思う心が湧いてきたら… (ほこりを掃く)→「いや、待てよ。あの人は自分に大切なことを教えてくれているんだ。まずは感謝しよう」
    • 「もっと欲しい」と焦る心が湧いてきたら… (ほこりを掃く)→「今、この身体をお借りして、仕事ができている。ご飯が食べられる。毎日元気に過ごすことができている。それだけで十分ありがたいな(たんのう)」
    • 「疲れた」とイライラしたら(はらだち)… (ほこりを掃く)→「ああ、身体が『休んで』とサインをくれている。大切な『かりもの』だ。休ませていただこう」

    このように、心の向きを少し変えて、親神様の御守護に気づき、感謝することで、心の「ほこり」は自然と掃き清められていきます。


    あなた自身を、もっと大切に慈しむ時間

    「かしもの・かりもの」の教えは、決して「無理をしなさい」という教えではありません。 むしろ、その逆です。

    「あなたは、親神様から最高に尊い身体をお借りしている、かけがえのない存在です。だから、ご自身をもっと大切に、慈しんでくださいね」

    という、親神様からの温かいメッセージなのです。

    今日から、ご自身の身体を「大切なかりもの」として、優しく扱ってみませんか?

    • 疲れたら、休む勇気を持つこと。 それは「怠け」ではなく、「かりもの」を大切にメンテナンスすることです。
    • 食事を味わっていただくこと。 「飲み食い出入り」の御守護(くもよみのみこと)への感謝を込めて。
    • ゆっくりお風呂に浸かること。 一日の「よごれ」を洗い流し、「ぬくみ」(をもたりのみこと)に感謝して。
    • 眠る前に、身体に「ありがとう」と伝えること。 「今日も一日、私の心と一緒に行動してくれてありがとう。ゆっくり休んでね」と。

    そして、「自分のもの」であるあなたの心を、喜ばせる時間を大切にしてください。 好きな音楽を聴く、好きな本を読む、自然の中を散歩する。 心が喜べば、身体も健やかになります。心が澄み切れば、親神様の願われる「陽気ぐらし」の道が、自然と開けてきます。

    あなたがあなた自身を大切にすることは、そのまま親神様への感謝の姿であり、喜びに通じる道なのです。

    あなたの毎日が、自身への深い慈しみと、生かされていることへの温かい感謝で満たされますように。